らいたーが適当な話とかするブログ

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つまらないのは感受性が欠如してるお前というツッコミに対して顔真っ赤で反撃を試みた

いつものようにTwitterで銀髪絵を漁っていたところ、次の絵が流れてきた。検索したら、どうやら謎の漫画のある一コマらしい。

 

 

よく私は、社会人になってからゲームや漫画を純粋な気持ちで楽しめないという。ひねくれたこの世の終わりみたいな人格が形成されつつあることを自覚している。わかりやすい勧善懲悪は、確かに、複雑なことはわからない子供に適切な道徳心を養うのには適切だが、世の中が単純な善悪二元論で片付けられない現代社会を経験してしまうと、いくらフィクションとは言え、どこか空虚だ。

 

こうした皮肉屋としての内面を手に入れた私はフィクションに「つまらない」という烙印を押す機会が、子供のときに比べて非常に増えた。これは感受性が欠乏したと言えるのだろうか?子供の頃の純粋無垢な、大人は全て汚らわしいと思える、ピーターパン的な純朴さを備えるべきなのだろうか?

 

「つまらない」という単語はかなり俗語であり、抽象的な概念を含んでいるので評価が難しい。だが、ここでは私なりに自己解釈を交えて「つまらない」に対する説明を試みたい。

 

ある特定の作品を「つまらない」と評価するとき、私たちは、意識しようがしまいが、比較する。それは特定のものかもしれないし、特に特定はしないが、その人の人生経験から導き出された結論かもしれない。つまり、もし私が一つも小説を読んだことがないのなら、小学生が書いた小説でも「つまらない」と評価することはできない。なぜなら、何かを「つまらない」と結論づけることは、相対評価であるからだ。

 

例え話をしよう。ここにある男が二人いる。一人は毎週映画を見に行くぐらいの映画マニア。もう一人は映画を全く見たことがない素人だ。この二人に映画の評論をしてもらうとしよう。果たしてどちらのほうがより信用できるだろうか?

 

だが、私はここである反論を受けたい。「君の上の文章は全て論点をすり替えているに過ぎない。感受性とは、いくら作品を体験したかという単純なものさしではない。モナリザを素晴らしいと思えるのは、たくさんの絵を見たからではない。たとえ世界にモナリザの絵しかなくても、感受性が豊かな者はその本質に気づくことができるし、君みたいな空論を弄するものは、例えこの世界の全ての絵を見たところでモナリザの本当の素晴らしさに気づくことはできない」

 

ではここで感受性についても考えたい。一般に、感受性が豊かだと涙もろいだとか、人の立場を真摯に考えることが出来るだとか言われるが、ここでは芸術に絞って話をしよう。

 

芸術に対する感受性が豊かとはどういうことか?私は次のように解した。

 

「作者の真意を見抜くことに長けた者」である。最も、多くの作品には作者に対するわかりやすいメッセージがあるとは考えていない。1984年は、制作された時期からも考えて、必然的に当時の全体主義国家だったソ連に対する批判であろうし、宮部みゆきの「火車」は明確に、当時まだ武富士が生きていたころの消費者金融に対する警告であるし、ゲルニカ反戦の絵である。だが、このようにわかりやすい例は少数だろう。

 

だが、一部の芸術には間違いなく作者のメッセージが込められている。そうしたメッセージ性を作品と融合させ、芸術家本人の力量と合わせて完成させた作品。それこそが名作となり得るのではないだろうか?単なる娯楽性を追求した作品も芸術ではあるが、後年に残る名作となり得ることは少ない。

 

私は、メッセージ性がない芸術は名作になりえないと言いたいのではない。だが、芸術家が真摯に作品と向き合い、魂を込めて完成させた作品には、芸術家の想いが作品に現れる。そう私は考えている。

 

こうした私の独自解釈が、同意を得られるとは考えていないし、同意されたいとも思っていない。だが、ある作品を「つまらない」と称した人間に対し、「本当につまらないのは感受性が欠乏しているお前」と堂々巡りになるような極論を振りまいているこのキチガイ女は十分頭がおかしいのだけは間違いない。

 

もし、この言葉が真実なら、あらゆる作品に対する免罪符として機能してしまうし、本当に「面白い」作品に対しても失礼である。なぜなら、もし仮につまらないと言える作品が全て当人の感受性の欠乏にあるなら、面白いと言える作品も全て当人の感受性の充足にすぎないからである。

 

確かに感受性が異常にまで豊富な人間は、あらゆる生物の一挙手一投足、この世界のあらゆる全てに対して興味をいだき、「面白い」と評するのだろうし、このキチガイ女に従えば、我々はこの世界のあらゆる事象に対して「面白い」と思わなければならない。

 

だが、そうした感受性が異常な人間が有象無象の一つの中から「面白い」と言われるよりは、中庸的な感受性で作品に向き合い、他の作品と比較しながら作品を「面白い」と表現する。これが本当の作品に対する真摯な評価ではないだろうか。

 

結論:このキチガイ女を描いた漫画家が一番○○○○

TRPGのあれこれ

はいどうも、皆さんこんにちは~。この前ゴキブリが出たけどゴキジェットも新聞紙も何もなくて1時間ゴキブリとにらめっこしていた僕です。

 

たまにフォロワーからなんかブログ書けって脅されていたのでネタを募集したら、TRPGについて書けって言われたので。

 

そもそもTRPGとはテーブルトークRPGの略でいわゆるアナログなゲームです。紙とサイコロと鉛筆だけで遊べるゲームです。この21世紀に縄文人みたいな遊びしてやがるぜ!って思われてそう。たぶん。

 

ですが、それ故にある程度のルールさえありますが、それさえ守れば自由度が高いゲームであり、良くも悪くも当人達の努力によって面白くもつまらなくもなったりします。

 

簡単に説明しますと、例えばドラクエではコマンドが指定されていますよね。スライムと戦闘するときも、魔法を唱えるか武器で攻撃するか逃げるか…。選択肢が用意されています。ですが、TRPGには基本的に選択肢というものは存在しません。スライムに和平交渉を挑むことも可能ですし、味方を裏切ることも可能です。その自由度の高さがTRPGの良さでもあり、悪さでもあります。

 

例えばあなたはおままごとをしていたとしましょう。あなたはお母さん役で私がお父さん役です。そこで二人で楽しんでいると突然私が夫の不倫についてバラします。実は外国人のダニエルの男根にメロメロなの。あなたには興味ないわ。とね。

 

当然あなたは嫌がりますよね。健全な夫婦という体でのごっこ遊びを楽しんでいたのに突然のNTR発言。私なら、興奮しますが、普通の人は嫌です。それが可能なのがTRPGであり、流石に先程のシーンは極端ですが似たようなシーンに遭遇したことはあります。

 

いわゆるマンチキンと言われる人たちのことですが、TRPGがコミュニケーションを前提としているゲームのため、このような存在が跋扈してしまうのは無理もないでしょう。ですが、だからといってこのような存在が許されるはずはありません。TRPGのルルブにはたいてい""皆が楽しめるようなゲーム作り""的なニュアンスの注釈があります。皆が楽しめなければセッションは成功したとは言えないのです。

 

私はどちらかというとGMのほうが回数が多いですが、自分のことを面白いと勘違いしている激寒野郎のくだらない寄り道にもちゃんと付き合ってあげますし、クトゥルフ神話TRPGで怪しい人に片っ端からパンチをしかけてきた人にも柔和な対応をしたこともありますが、こういった困ったちゃんは基本的に自分のことを悪いと思っていないので何を言っても無駄です。

 

これはあくまで経験則ですが、このようにTRPGで何かしらの問題行動(空気を読めないなど)をする人は他でもたいていなんかやばいです。コミュニケーション能力が欠如しています。逆に言うと一緒にTRPGをすることでその人のコミュニケーション能力を図ることができるのだ!!!!!!!!!すげえー!!!!!!!

 

テクノロジーが発達し、コンピューターゲームが一つの娯楽として認知されてきた我々ですが、たまには紙と鉛筆とルルブとサイコロだけで遊べるTRPGも楽しいですよ。

 

まあ、どとんとふを使っているので、実際のサイコロは使ってないんですけどね(ワラ

結論

 

空気を読まないやつはTRPGでも空気を読まない

 

グラブルを引退した理由及び所感

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

 

───────マザーテレサ

 

 

 

 

ソーシャルゲームには基本的にはログインボーナスが存在します。それは毎日ログインさせることによりプレイヤー側の利益を得ることでゲームを続けさせるという意図を含んでいると思うのですが、それがいつからか習慣となります。習慣というものは厄介なもので、例えばみなさんは歯を磨く時、歯を磨こうと思って歯を磨きませんよね。それが習慣、当たり前だから磨くのです。お風呂などもそうです。一般的に自己啓発本などで腐るほど聞かされているように21日前後で習慣というものは身につくそうです。

 

そして例えるなら風呂に入るように毎日グラブルにログイン、ログボを受け取りマグナを消化、アルバハを自発消化していく毎日…。

 

それはかつての私そのものですが、もちろんそれを否定することはありません。ですが、私にとってはそれが""ただなんとなく続けている怠惰な習慣""でした。

 

お風呂に入る、歯を磨く、などの習慣には当然ながらそれを行う理由、メリットが存在します。身体を清潔に保つ。歯を歯周病等から守る、などですが、自らを振り返ったときに、グラブルを続ける明確な理由、メリットが私の中では存在していませんでした。

 

天井団に入ってTwitterでイキり散らかすぜ!とか、共通のグラブルの知り合いと仲良くなってインターネットで人脈を拡大するぞ!などといった高尚な心情はもちろん持ち合わせておりませんでしたし、ただ脳より先に手がグラブルのログインを促しマグナ消化をする日々でした。

 

昔は違いました。数少ないSSR武器とSSRキャラを並べてどうしたらマグナを確定流しできるか、真剣に考えていましたし、今はなくなってしまいましたが、霧ループと呼ばれるものを必死に試したこともありましたし、初めてマグナを確定流しできた時の感動はひとしおでした。

 

ですが、マグナもほぼ瞬殺し、武器も4凸がほぼ全属性終わり、これ以上の伸びしろはキャラと課金武器というところまできた結果、急激にゲームそのものに対する楽しみは一切失われました。

 

もちろん今までのグラブルの時間が無駄だとは思いませんし、今までにグラブル関係で出会った友人はかけがえのないものです。しかし、これ以上何も得ず怠惰な習慣を続ける意味が果たしてあるのだろうか。と一時期真剣に考えることとなりました。

 

その結果、時間及び金銭の浪費、その末得られるグラブルをプレイして得られるメリットを天秤にかけた後、グラブルをプレイする意味はないなと思い、グラブルは引退する決断を致しました。

 

今考えると非常に理屈めいているというか、趣味ですら物事を損得勘定で考える癖があるような気がします。趣味なんて元々金銭を得る手段ではないのですから、楽しければそれでいいで済む話です。まあ、それに関しても今述懐させていただくと私はその時はすでにグラブルを純粋に楽しんでいなかったので趣味というよりは本当に義務と呼べる習慣でした。

 

貴重な同じ騎空士の友人とDiscordでアルバハを討伐している時間も楽しんで行っていたというよりは、義務的な意味合いが強かったですし、今、アルバハを純粋に楽しんでいる方なんていないのではないのでしょうか?最近ではアルバハソロ討伐が流行っているそうですが、それも純粋に自分がアルバハをソロする喜びよりも""SNSでアルバハをソロしたという実績をあげて周囲にもてはやされて自己顕示欲を満たしたい""という思いのほうが強いように感じられます。もちろんこれは私個人の考えですので、本当に純粋にアルバハソロを楽しんでいる、という方もいらっしゃると思います。ですが普段のTwitterの上位勢の方を拝見すると必ずしもそうではない方のほうが多いように感じられます。

 

だんだんグラブルのプレイヤーの嫌味ばかり発言して大変申し訳ありません。ですが、こうした上位勢、私はとても嫌いな言葉ですが、いわゆる「天上人」と呼ばれる方のSNSでの発言等に嫌気が指したというのも、私がこの界隈に嫌悪感を抱いたきかっけの一つですので明確に提示しないといけません。

 

もちろん自己顕示欲というのは人間が当たり前に持っている欲求ですし、普遍的なものです。それを否定することは決してできません。しかし、物事には限界というものがあり、過ぎた顕示欲は周りを不愉快にし、離れさせていく原因にもなります。

 

マズローの欲求5段階説をご存知でしょうか。一度は聞いたことがあると思いますが、その中でマズローは自己顕示欲を4つ目の欲求とし、我々はその先、自己表現の欲求に昇華するべきだと言います。これはここ数年前に爆発的な大ベストセラーを記録し、私個人的にもかなり従事している「アドラー心理学」にも通じる話であります。他者の評価のために生きてはいけない。自分の人生は自分のためにあるのだから、周囲の期待のために行動してはいけない、というのがアドラーの言説です。

 

…とこれ以上話すとただの気色悪い心理的な話なのでこれ以上は控えますが、私個人からすると、グラブル上位陣の方のTwitterを拝見するとどれも「自己顕示欲の塊」以上の評価が見つからず、とても嫌悪感を抱いたのも明確な理由です。

 

ここまでだらだらと長い間自分語りをしましたが、結論だけ申しますと、「グラブ」に終着します。仕事は金銭を得るための手段。歯磨きも風呂も身体を清潔に保つための手段。ではグラブルは?楽しんでもいないし、何のために続けている趣味なんだろう、と自分を振り返ってみると何一つ浮かばなかっため、割とあっさり身を引くことができました。

 

ここまでご覧頂い方、本当にありがとうございます。ここまで10割私事の自分語りであったため、退屈だとは思いましたが、最後に、私の大好きな皮肉にて、この記事の締めとさせていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SNS未来

Rank225になった所感及び、スラ爆という行為について。

突然ですが私はRank225です

 

それはスラ爆という果てしなく無駄な作業を永遠繰り返したにほかならなく、貴重な20代の時間をドブに捨てたようなものです。

そんな人生の破壊者である私がこのブログを見てくださった全ての皆様にスラ爆の素晴らしさを語らせていただきたいと思います。よろしくおねがいします。

 

本題に入る前に一つ自分語りさせてください。この前出勤するときに朝寝ぼけてメガネを踏み潰してしまったんです。その時慌ててセロハンテープで補強して出社したら一瞬で上司にバレてめちゃくちゃ怒られました。

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以上です。ありがとうございました。それでは閑話休題

 

今は一人でも共闘ができ、現在は共闘が半額なので非常に適している環境だと思います。ですがそもそもスラ爆をする、つまりスラ爆をするメリットとは一体なんでしょう。ここではすでにRankをカンストさせた人生の負け組である私がいろいろ考えてみました。

 

Rankが一つの指標になる

 

結局その人のグラブルの強さなんて一目見ただけではわかりません。武器が仮にリミテッド武器で埋め尽くされていようと実際にその人の速さを見てみないとなんとも言えないからです。ですがその点Rankは誰にでも見えて、かつある程度の指標になり得るのです。

 

よくRankが高いからと言って武器が強いとは限らないという方がいます。もちろんその意見も間違っていないのですが、よく考えてみると「スラ爆という単調な作業を繰り返せる人が同じく単調な作業を繰り返す古戦場その他を走りきれない訳がない」のです。

更に言うならRankが早い段階で上がっている人は比較的時間を確保しやすい人間であるため、古戦場などでも活躍が期待できるというわけです。

 

②野良共闘・団に入りやすくなる

 

最近はA帯の団ともなるとある程度のRankが条件として提示されている団も多くなってきました。それは団の平均Rankをあげることで古戦場でマッチングしたときに「脅し」として使えるからにほかなりません。昔と違い今は古戦場の相手が判明していても団員を非表示にできるため判断材料が非常に少ないです。そのうちの一つが団の平均Rankです。平均Rankが高ければ高いほど相手は当然警戒しますし、朝ダッシュで折れてくれれば御の字というわけです。

 

また、最近は野良共闘でもアルバハRank185↑などと言った募集をよく目にします。特に野良は一期一会であり、プレイヤーの強さが一切わからないため、Rankで判断せざるを得なくなるのも致し方無いでしょう。野良アルバハに積極的に参戦したいのであれば、最低限Rankを上げ、初対面での強さを部屋主に示すことが必要となってきました。

 

③半汁が増える

 

これはサブ垢を併用すれば顕著です。一人でもほとんど半汁は減りませんし、むしろ増えることも多いです。半汁はこのゲームの命であり、生命線です。半汁がなくなれば古戦場はもちろんストーリーイベントも回せないですし、日課すら怪しくなります。そして近年十天衆解放というコンテンツが誕生し、44箱をあけるメリットができました。そして44箱を開けるには1000個程度の半汁を消費します。すると半汁をどこで増やそうと考えるとスラ爆しか残されていないのです。もちろんシルバームーンなどで増やすことも可能ですが、ガチ底辺所得である私(趣味は半額弁当漁り)には毎月天井などは到底不可能ですし、とても古戦場には追いつきません。そうなると、スラ爆しか残されていないのです。

 

ここまでスラ爆のメリットを列挙させていただきましたが、逆にデメリットも紹介しておきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

①時

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

③  時  間  の  無  駄 

 

時間は有限です。本当に貴方はこの人生で何をしたいのか考えて行動しましょう。

Rank200に実際になった所感及び、スラ爆という行為について。

突然ですが、私はRank200です。

 

これは大量にスラ爆をしたからに他ならず、どれだけヘイローを回ったところで絶対にRank200にはなりません。

 

逆に言ってしまえば、このゲームで最高Rankになろうとするには、永遠とスラ爆という虚無の行為をしなければなりません。

 

スラ爆という意味がわからない方はGoogleでスラ爆と検索していただければある程度理解できると思います。

 

 そしてこのスラ爆という行為ですが、かなりグレーな行為だと思います。もちろん、他人とやる分には問題ないです。ですがいわゆる

 

 

妹垢(サブ垢)でスラ爆をする

 

という行為。

 

前提として運営はTOPページの下の方にある「違反行為に対する措置について」というリンクで違反行為の一つとして以下の文言を上げています。

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ということははっきり言ってサブ垢でのスラ爆は違反行為です。

 

ゲーム内アイテムを目的とした、複数アカウントでのプレイを確認した場合は厳しい措置を実施することがあります。ようするに

 

「半汁欲しさにサブ垢共闘をしてBANされたところで文句は言えない」

 

ということです。

 

ですが現実的にサブ垢と共闘している人は一定数存在しており、仮に一度でもそれらの人間を全員BANしたらかなりの人数が減少すると思います。

 

そしてそもそもRankをあげようと思っても他人と一時間以上も都合を合わせる必要があり、そうでもしないとRankがほとんど上がらないというのもなかなかなシステムです。

 

さらに半汁に代表される回復アイテムもかなりもらえることを忘れてはいけません。

 

古戦場40箱以上開ける人間にとっては半汁の確保が、共闘で半汁を増やすか重課金でシルバームーンなどで半汁を交換するか、汁課金をする以外の選択肢がありません。

 

運営からしたらユーザーには課金をさせたいはずですし、規約違反行為で回復アイテムを強引に増やす行動は嬉しくないでしょう。

 

巷で噂されている共闘から回復アイテムの削除も現実的だと思います。

 

麒麟の宝晶石の削除も同様の理由だと思います。時間がかなり有り余ってる人間(マイルドな表現)の人たちが一度の四象で毎回9万円以上ガチャを引けるような宝晶石を手に入れるようではそもそも課金する必要がありませんからね。

 

以上の理由でいつ回復アイテムが共闘エストから消えてもおかしくないと思います。消えたらかなりの人がやめると思いますけど。

 

因みに私は今回のGWでRank200になるにあたって、大体GW中は1日8時間はスラ爆をしていました。

 

私の時間を返して

 

 

 

 

グラブルの古戦場の団員30人について

ご存知グラブルには古戦場というイベントがあります。

 

プレイヤー最大30人が集まって騎空団同士で互いに貢献度を競い合ういわばグラブルのメインイベントです

 

そんなイベントですが最近私が感じているのはこの30人という団の人数です。

 

みなさんは多いと感じるでしょうか。少ないと感じるでしょうか。

 

私は多いと感じます。

 

そもそも軍隊がなぜ大量の人数を抱えているのもかかわらず統率が取れているのか。それはそれぞれ小さい集まりごとにリーダーと呼ばれる人間が存在しており、それをまとめる人間がいるから人数が多くてもまとまりがあるのです。

 

具体例でいいますと、例えば一番小さいまとまりである班(大体10人前後)にも班長と呼ばれる人物が存在しており、それを複数個まとめた分隊にも当然分隊長と呼ばれる人物が存在しています。

 

そういった小さい組織である班をまとめる班長が班員をしっかり見ているから、上のいわゆる分隊長なども指示ができ、末端にまでその指示が伝わるのです。

 

その点でいうとグラブルの団というシステムは、団長が団員全員を一身に背負っている場合が非常に多いです。副団長というのも割りと名前だけで、スカウトやその他の団方針を考え、実行に移すのもいつも団長であり、比較的誰も団長をやりたがらない一つの要因となっているかと思います。

 

普段でもスカウトなどやることがあるのに団員全員の心情や行動など当然把握することはできませんし、結果的に団員が辞めやすい、という自体が発生してくると思います。

 

実際に私が経験した話ですと、団内でグループみたいなのが複数できて、そのグループ同士の関係しか発生せず、結果的にそのグループ全員が抜けて団が崩壊してしまうというケース。

 

ではそういった事態が発生した時にお前はもっと他の団員とも仲良くなれよとかそういったことは言うわけにもいきませんし、仕方がないところもあります。

 

人間ですから当然好きな人もいれば団内で嫌いな人も出てきます。そういった人と仲良くなれという方が酷です。

 

じゃあどうしたら良いのか?

 

どうしようもありません。それまでです。それが団員が30人という人数の悪い点です。

 

仮に貴方が仲がいい友人たちと飲みに行ったとします。何人ぐらいを想像しますか?おそらく5~6人ぐらいを想像すると思います。間違っても30人は絶対に想像しないと思います。それはなぜか。あまりにも人数が多いとそもそも全員と喋るという行為自体が困難ですし、もっと少数で仲良く飲みたいと希望すると思います。

 

ですので、30人もいたらその中で仲が良いグループが発生するのはある意味では必然ですし、そのグループが全員やめて団が崩壊、もしくは大幅な人員入れ替えになるのもある意味では自然な流れです。

 

そうした場合苦労するのは結局団長です。スカウトやその他の団員のトラブルなどで困ったりすることがある一方、特に何一つ団長をやっていていいことがない。これが団長というシステムです。

 

散々くだらない話ばかりしましたが、結局何が言いたいのかというと、団員多くね?ということです。仮に私が団長をやるとして、団員全員を気にかけることができる限界は15人かな、と思います。

 

ですがそもそも人間関係とかどうでもいいしただノルマを決めて古戦場さえ走れば無言でもいいよという団には意味のない話だと思います。

 

ですが私が比較的そういったコミュニケーションを大事にする団を好む傾向にあって、今回のような団員が多いなあと度々思う場面があったので今回記事にさせていただきました。

 

どうせ仲間とイベント走るなら赤の他人と走るより、気心の知れた友人と走ったほうが楽しいと思います。

 

少なくとも私は、そう思います。